西宮競輪が廃止した理由は、地元の人に反対!嫌われた公営ギャンブルの末路

西宮競輪が廃止した理由は、地元の人に反対!嫌われた公営ギャンブルの末路

UPDATE:2019.09.11
競輪コラム競輪マメ知識

皆さんは、西宮競輪という競輪場を知っていますか?

過去に、行った事があるという方はかなり少ないと思いますが、現在は廃止しており、商業施設になってしまっています。

過去には野球と競輪を同時に行っていたとても珍しい競輪場です。

当時の西宮競輪が廃止なった理由は深く、様々な理由がありますので細かく解説していきたいとおもます。

それでは、見ていきましょう。

西宮競輪場とはもともと野球場だった!

西宮競輪 廃止 野球場

今回は西宮競輪場の廃止にまつわる理由や、初期の利用目的を紹介していきます。

当時の阪急ブレーブスという野球チームの本拠地として存在していた西宮球場です。
その野球チームは、「弱小球団」であったが故に集客が低迷していました。

結果的に野球チームは衰退して、共同で競輪場としても使用する事になりした。

その西宮球場は、阪急電鉄株式会社の球場にやぐらの上に木製のパネル120枚を張り合わせた周長300mのバンクを作り1949(昭24)年:兵庫県市町競輪事務組合主催による第一回西宮競輪が開催されれるようになりました。

開始当初より常に大入り満員でプロ野球公式戦より1日あたりの入場者ははるかに多い人気がありました。
そのためお盆のかきいれ時はブレーブスより競輪の開催が優先されるようになりました。

また、後年ブレーブスの本拠地移転の理由で、競輪開催日前々日に競走路を組み立て
開催日が終わると解体する作業が無くなりました。

バンクなど一式はレフト外野席後方の敷地内にそのまま設営されました。

しかし、当時のバンクはパネルが安定せず振動で選手の力が極端に奪われることや、落車した時に木のささくれが肌に入り込んで擦過傷がひどいことなどから選手から不評が相次いだと言われていました。

廃止に追い込んだ西宮競輪の歴史

西宮競輪 廃止 歴史

2013年の10月26日から愛知県・一宮競輪場で「開場63周年記念・G3毛織王冠争奪戦」が開催されました。

競輪で開場記念(開設記念)といえば、当場ではその年の一番大きなレースになります。

優勝賞金も高く、全国からトップレーサーが集まる一大イベントでした。

しかし一宮にとって、これが最後の開場記念になりました。

当時は競輪に限らず、公営レースの売上減少に歯止めがかからないのが現状でした。

そうなれば各地方自治体は競輪事業からの撤退を余儀なくさせられます。

2013年、一宮・谷一夫市長は2014年3月末で廃止することを発表しました。

63年の歴史にピリオドを打つことになりました。

60年代から80年代、高度経済成長期からバブル経済崩壊時まで、日本経済が高いレベルで安定していたころ、競輪場は全国で50場もありました。

一宮が廃止されると43場になります。

その廃止の口火を切ったのが02年3月の西宮、甲子園競輪でした。

甲子園競輪場は阪神甲子園駅から歩くと、ちょうど球場の裏手にありました。

現在は分譲マンションなどになっており、当時の面影はありません。

上記でも説明しましたが、西宮競輪場は阪急ブレーブスの本拠地・阪急西宮スタジアムとイコールで、野球場と競輪場の2つの顔を持っていました。

西宮は球場内にやぐらを立て、118枚のアスファルトをつなぎ合わせた組み立てバンクでした。

ゆえに継ぎ目ができますよね。

走行するたびにガタガタと音がして走りにくいという選手も多かったが、その中でもミスター競輪と呼ばれた中野浩一は得意バンクの一つにしていました。

ちなみに西宮記念で優勝すると阪急電鉄から副賞として1カラット相当のダイヤモンドが贈られました。

中野同様に得意にしていた三宅伸(岡山)は「賞金もうれしかったけど、このダイヤは本当にありがたかったですね。僕も(西宮は)好きでした。嫁も大喜びしてましたし」と振り返っています。

ちなみに立川競輪・阿佐田哲也杯の副賞は、日産スカイラインだったこともある。

このバンクの脱着にはそれぞれ半日もかかり、その費用は約700万円ともいわれていました。

他の競輪場と比べると余分な経費がかかりながらも『東の川崎、西の西宮』と呼ばれるほど売上は良く、全盛期には阪急ブレーブスの公式戦より入場者がすごく多かったようです。

西宮競輪の廃止の理由は?

西宮競輪 廃止の理由

野球場から競輪場へと変わった西宮競輪は、なぜ廃止に追い込まれてしまったのでしょうか。

売上減少はレジャーの多様化、ファンの高齢化、経済事情など理由はさまざまで一概には論じられません。

しかし、次の一手として、ナイター開催を希望する声がありながらも(実際にはプロ野球で使用しており、競輪でも午後4時くらいの天候が悪いときは照明に明かりがともった)実現することなく終わったことが悔やまれてならないです。

もし実現していたら、大井競馬よりも早く公営レース初のナイター開催として注目を浴びていたことは間違いないでしょう。

今や、優良といわれている競輪場はナイター施設が整っていいます。

その数すでに44場中10場です。

西宮の場合は周辺住民の反対、警備上の理由などで幻に終わっています。

しかし、本音のところでは「野球はOKだが、競輪は駄目」という差別意識が根幹にはあったことは十分想像できますね。

西宮競輪はなぜ差別されたのか

西宮競輪 廃止 差別

1950年、鳴尾競輪場(のちの甲子園競輪場)で起きた騒擾(そうじょう)事件は別名「鳴尾事件」と呼ばれています。

スペースを割くのでここでは割愛するが、ファンが消防車のガソリンを抜き取り投票所に放火、さらに売上金を奪おうとする暴徒に警察官が威嚇射撃して死亡者が出る事態にまで発展しました。

それ以降「競輪ファンは何をするか分からない」という世間一般のイメージができ上がってしまったのかもしれなですね。

今の西宮競輪場はどうなっているの?

西宮競輪 廃止 現在

現在、その跡地は「西宮ガーデンズ」という商業施設となり、ショッピングや食事に訪れる家族連れ、カップルで賑わっています。

その5階「阪急西宮ギャラリー」ではスタジアムの歴史を刻んだ映像、パネルなどが展示されている。

テナントは、阪急百貨店、シネマコンプレックスであるTOHOシネマズ西宮OS(12スクリーン 20,000m2)とイズミヤ(10,000m2 強)があります。

施設は中央部に駐車場を配置し、駐車場の周囲をショッピングモールが取り囲んでいます。

1周で約450メートル、東西南北4つのモールから成るサーキット型の設計となっており、当時の競輪場の歴史を残したと地元の方は語っています。

阪急百貨店とイズミヤはショッピングモールを挟む形で配置されており、屋上庭園「スカイガーデン」は、六甲山系に自生する樹木や桜、果樹などで緑化され、オルゴールの音色に合わせて踊る噴水も設置されています。

名称は、西宮七園の歴史を加え、地域に居住する人々にも憩いと賑わいのある快適な空間を提供できる「庭園」になるよう願いをこめて、ガーデンズが付けられました。

ロゴは、「これからの西宮の新しいアイデンティティシンボルに」という思いを込め、西宮市の花である桜をモチーフにしています。

高級志向の人が多い西宮や芦屋を商圏とするため、従来ショッピングセンターに出店したことがない店や高級住宅地にしか出店しないセレクトショップなどが出店し、他のショッピングセンターと比べると専門店街もやや価格が高めの店舗も多いショッピングセンターです。

阪急西宮スタジアム跡地に建設されたこともあり、阪急西宮ギャラリーや屋上のスカイガーデンには西宮球場のホームベースなど、敷地内には阪急ブレーブスや阪急電鉄に関するものが展示されているほか、競輪場として活躍した写真なども飾ってあります。

西宮競輪を得意とした中野浩一

西宮競輪 廃止 中野浩一

西宮競輪場のコースはデコボコで選手には嫌われていましたが、このコースでもすごい走りをする選手が存在していました。

それは競輪界のレジェンドとも言われている中野浩一です。

そんな中野浩一とはどんな人物でしょうか。

西宮競輪 廃止 どんな人物

現役時代の中野浩一は、1975年に競輪デビューするや、いきなり18連勝を遂げ、1236回出走したうち1着が666回、特別競輪での優勝回数が169回など、他の追随を許さない活躍ぶりでした。

歴代最多の6回も年間賞金王に輝くなど、瞬く間に競輪界のトップに立ち、日本人プロアスリートでは初となる獲得賞金1億円プレイヤーにもなっています。

このように、自転車乗りであれば誰もが憧れる競輪界のレジェンドとなった中野浩一。

その強さの秘密は、高校時代に取り組んでいた陸上によって培われた脚力にあったのかもしれません。

高校2年の時には、インターハイの400メートルリレーに出場し、八女工業高校の優勝に貢献した実力の持ち主でしたが、怪我が原因で陸上による大学進学を断念します。

その後は、体育教師やプロゴルファーになることを夢見たそうですが、競輪選手だった父・中野光仁よりトラックレーサーになることを勧められました。

わずか3カ月程度の練習に取り組んだ中野浩一は、日本競輪学校に見事合格し、才能あふれる選手として成長していきます。

その後も驚異的な走りで国内トップに君臨し続け、1992年に現役を引退した中野浩一の獲得賞金総額、約13億2千万円。

現在は、競輪の解説者や競輪とオートレースの振興法人JKAの特別顧問、日刊スポーツの競輪担当評論家など、競輪に関する場面で活動している他、タレントやスポーツコメンテーターとしても活躍しています。

まとめ

西宮競輪 廃止 まとめ

今回は、西宮競輪場の廃止について歴史をさかのぼって紹介させて頂きました。

現在でも公営ギャンブルの売上は衰退しており、廃止や閉鎖と戦っている競輪場は多く存在します。

競輪というと年配の方が多く、若い人があまり行かない印象がある競艇です。

しかし、最近では競輪を1から知りたいという若者も増えて来ています。

おそらく漫画の影響もあるでしょう。

今後、もっと多くの人が競輪場に行って盛り上げていきたいですね。