村本大輔 競輪
PR

元競輪選手の村本大輔選手は男泣きで引退!数多くの名勝負を残してきた戦歴をご紹介

UPDATE:2020.08.26
競輪コラム競輪選手

村本大輔選手と言えば、レース前や表彰式でポーズを取って競輪ファンを楽しませてくれた事で記憶に残っている方も少なくないでしょう。

村本大輔選手はレースだけでなく、競輪ファンを楽しませようとする姿勢からも多くのファンがいました。

そんな、村本大輔選手は落車事故によって引退へ追い込まれてしまいましたが、どの様な競輪人生を歩んできたのか紹介していきます。

村本大輔選手はどんな選手?

村本大輔 競輪

氏名:村本大輔(むらもと だいすけ)
年齢:44歳
期別:77期
級班:S級2班
登録番号:013114

村本大輔選手は元競輪選手で、日本競輪選手会に所属し、S級2班まで登りつめた競輪田酒です。

初出走は1996年4月20日、伊東温泉競輪場で初勝利もこのレースで飾りました。

静岡市葵区を流れる藁科川沿いをロード練習のコースとしている静岡所属の選手サークル「藁科軍団」のリーダー的存在でした。

また、村本大輔選手は見た目がお笑い芸人のゴルゴ松本と似ている事から、競輪ファンや有事からは「ゴルゴ」と呼ばれていたそうです。

レースでの競争スタイルに関しては、最後の直線でダッシュをかける追い込み選手でした。

競輪選手としては一般的な競争スタイルですが、前方に強い選手がいたとしても、レース終盤にギリギリで逆転できる脚をもっていました。

村本大輔選手の初出場・初勝利・初優勝

村本大輔 競輪

村本大輔選手の「初出場」や「初勝利」、「初優勝」についてのデータを紹介します。

■初出場
1996年04月20日 伊東競輪場 1位, 1位, 2位

■初勝利
B級 1996年04月20日 伊東競輪場 1位, 1位, 2位
A級 1996年07月12日 取手競輪場 1位, 5位, 1位
S級 1998年12月14日 大垣競輪場 6位, 1位, 9位
特別競輪 2002年09月20日 熊本競輪場 6位, 1位, 8位, 1位

■初優勝
B級 1996年05月13日 川崎競輪場 1位, 1位, 1位
A級 1996年08月10日 花月園競輪場 1位, 1位, 1位
S級 1999年10月11日 松山競輪場 2位, 2位, 1位
特別競輪 2005年06月05日 大津競輪場5位, 3位, 3位, 1位

村本大輔選手の通算成績

村本大輔 競輪

村本大輔選手は1588回の出走回数のうち、347回の勝利を収めており、車券に絡む確率の高い強い選手でした。

過去の通算成績は下記の通りです。。

出走数:1,588回
優勝:37回
1着:347回
2着:230回
3着:198回
着外:753回
棄権:44回
失格:21回
勝率:22%
2連対率:36%
3連対率:49%

村本大輔選手の節目勝数達成

村本大輔 競輪

■100勝達成
199年8月7日 一宮競輪場

■200勝達成
2003年12月29日 川崎競輪場

■300勝達成
2009年4月10日

村本大輔選手の特別競輪出走履歴

村本大輔 競輪

数多くの勝利を収めてきた村本大輔選手は、多くの特別競輪への出走歴を残しています。

下記に村本大輔選手が出走した履歴を一部紹介します。

■日本選手権競輪
2012/02/28 熊本 7.7.6

■朝日新聞社杯競輪祭
2011/12/01 小倉 8.4.6.4

■共同通信社杯秋本番
2011/10/07 松阪 8.5.2.6

■読売新聞社杯全日本選抜競輪
2011/08/04 岸和田 3.5.4

■サマーナイトフェスティバル
2011/07/22 松 山 8.2

■高松宮記念杯競輪
2011/06/02 前 橋 3.6.5.3

■日本選手権競輪
2011/03/01 名古屋 4.7.2.3

■朝日新聞社杯競輪祭
2010/12/02 小 倉 8.4.4.4

■オールスター競輪
2010/09/01  平  2.5.2.4

■寛仁親王牌競輪
2010/07/01 前 橋 8.1.4.2

■日本選手権競輪
2010/03/02 松 戸 6.1.9.5

■朝日新聞社杯競輪祭
2009/11/20 小 倉 落

■オールスター競輪
2009/09/19 松 山 6.1.6.8

■読売新聞社杯全日本選抜競輪
2009/08/01 大 垣 1.4.9.6

■寛仁親王牌競輪
2009/07/04 青 森 7.1.5.1

■高松宮記念杯競輪
2009/06/18 大 津 3.6.1.5

■共同通信社杯春一番
2009/04/16 佐世保 7.失

■日本選手権競輪
2009/03/03 岸和田 5.2.3.1

■東西王座戦競輪
2009/02/13 高 松 5.2.5

■競輪祭(競輪王)
2009/01/22 小 倉 1.6.7.4

■読売新聞社杯全日本選抜競輪
2008/12/06 西武園 8.5.1.4

■共同通信社杯
2008/10/10 久留米 4.1.1.2

■オールスター競輪
2008/09/11 一 宮 4.4.1.2

■寛仁親王牌競輪
2008/07/05 前 橋 1.3.5.6

■高松宮記念杯競輪
2008/05/31 大 津 1.9.1.5

■ふるさとダービー
2008/04/19 弥 彦 4.1.5.5

■日本選手権競輪
2008/03/18 静 岡 1.7.4.2

■東西王座戦競輪
2008/02/22 別 府 4.6

■競輪祭(競輪王)
2008/01/24 小 倉 2.4.2.2

■読売新聞社杯全日本選抜競輪
2007/12/01 熊 本 1.6.3.7

■オールスター競輪
2007/09/13 高 知 2.3.2.5

■寛仁親王牌競輪
2007/06/30 前 橋 3.失

■ふるさとダービー
2007/04/19 観音寺 6.4.5.1

■日本選手権競輪
2007/03/20 平 塚 1.5.6.1

■東西王座戦競輪
2007/02/23 宇都宮 4.5.6

■競輪祭(競輪王)
2007/01/25 小 倉 1.4.4.3

■読売新聞社杯全日本選抜競輪
2006/12/02  平  6.5.7.5

■ふるさとダービー
2006/11/02 防 府 7.7.3.落

■共同通信社杯
2006/10/06 岐 阜 2.4.7.5

■オールスター競輪
2006/09/02 花月園 1.1.4.2

■サマーナイトフェスティバル
2006/07/21 函 館 1.4

■寛仁親王牌競輪
2006/07/01 前 橋 7.1.5.5

■高松宮記念杯競輪
2006/06/01 大 津 1.2.2.6

■ふるさとダービー
2006/04/08 小松島 3.4.8.3

■日本選手権競輪
2006/03/21 立 川 6.6.1

■東日本王座決定戦
2006/02/23 伊 東 6.2.7.1

■競輪祭(競輪王)
2006/01/26 小 倉 8.2.4.2

■競輪グランプリ
2005/12/30 平 塚 4

■読売新聞社杯全日本選抜競輪
2005/12/03 岸和田 2.7.2.6

■共同通信社杯
2005/10/07 松 山 2.7.5.2

村本大輔選手の競輪人生

村本大輔 競輪

競輪界の「ゴルゴ」とも呼ばれる村本大輔選手はいったいどの様な競輪人生を歩んできたのでしょうか。

村本大輔選手は私立静岡北高等学校を卒業後に日本競輪学校に入学しました。

デビューしてからは好成績を残し、順調にSは級へと昇級し、競輪ファンからは動きの良い追い込み選手として人気を集めていました。

村本大輔選手は「ゴルゴ」と呼ばれていることで、過去にフジテレビ系列で放映されていた番組「力の限りゴーゴゴー!!」のコーナーにおいて本人と対面したことがあります。

そして、対面以降、TIMのゴルゴから「競輪界のゴルゴ」と名乗ることが正式に認められました。

その後、2005年には高松宮記念杯競輪で優勝を果たし、表彰式でTIMのゴルゴ松本の芸でもある「命」を披露し、競輪ファンをわかせました。

基本的に競輪ではレース中において選手が何かしらのパフォーマンスを行う事は禁止されています。

しかし、村本大輔選手はスタート直前に何かしらのポーズを取り、競輪ファンを楽しませてくれることでも有名でした。

競輪場の方針によっては、このパフォーマンスが左右される事がありますが、パフォーマンスに関して寛大な平塚競輪場で行われたKEIRINグランプリ05において、発走台の上でゴルゴ13のスナイプポーズを行った事も記憶に残っている方もいるかもしれません。

そんな、村本大輔選手ですが2015年10月の松坂FIで落車事故を起こし、長期欠場となってしまいます。

その影響もあったせいか、2016年11月7日に静岡支部にて手続きを済ませ、2016年11月15日付けで引退しました。

村本大輔選手の引退セレモニーで男泣き

村本大輔 競輪

競輪界のゴルゴとも呼ばれる「村本大輔選手」の引退セレモニーは伊藤競輪場で行われました。

平成27年10月に落車してしまったことで、頸椎(けいつい)など損傷して長期欠場に追い込まれてしまい、復帰を目指していましたが、練習の事故により左手の薬指と小指を失ってしまいました。

その結果、競輪選手としての身体能力が発揮する事ができず、引退に追い込まれたようです。

「まだまだやれるつもり」と村本大輔選手と語ってはいましたが、ドクターストップが掛かり、引退を余儀なくされてしまいました。

2005年のG1高松宮記念杯を初制覇した選手だったので、競輪ファンからも悲しみの声が溢れました。

引退セレモニーでは「みなさんカメラと動画の用意はいいですか?」と最後の「命」ポーズを決め、男泣きしながらも引退セレモニーを締めくくりました。

高松宮記念杯の準決で番手勝負で競り勝った山口幸二氏が司会を務め、山口氏からの要望を受け「みなさんカメラと動画の用意はいいですか?」と最後の「命」ポーズを決め、最後は男泣きで締めくくりました。

その時の様子の動画を見つけたので下記に紹介します。

まとめ

競輪界のゴルゴとも呼ばれる村本大輔選手はどんな選手だったのかについて紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?

数多くの名勝負を残してきた村本大輔選手ですが、落車事故による怪我で引退へ追い込まれてしまったのは非常に残念です。

競輪のレース中にも力強いレースで競輪ファンを楽しませてくれたのはもちろんのこと、レース前にポーズを取ったりと、他の競輪選手では絶対にしないような事で競輪ファンたちを楽しませてくれていました。

村本大輔選手の様に「楽しい選手!」という様な選手は、あまりいませんが、今後の競輪人気を伸ばすためにはこの様な選手が必要だと感じます。