競輪はGHQの統治下にあった頃に始まった!競輪の波乱万丈な歴史を紹介

競輪はGHQの統治下にあった頃に始まった!競輪の波乱万丈な歴史を紹介

UPDATE:2020.08.26
競輪コラム競輪マメ知識

日頃から競輪を楽しんでいて「競輪が好き!」という方は大勢いるかと思います。

しかし、競輪の歴史についてはご存知でしょうか?

なぜ、競輪が生まれたのか、廃止になった競輪場が多いのはなぜなのか、知らない方が多いかと思います。

そこで、この記事では競輪の歴史について紹介していきます。

競輪の誕生

競輪 歴史

競輪の誕生は戦後すぐ、まだ日本がGHQの統治下にあったころに遡ります。

自転車やサイクルスポーツの復興のために、東京の有楽町に国際スポーツ株式会社が設立されました。

この会社が設立された本来の目的は、戦後の日本の復興資金の調達のために、戦後人気を集めていた競馬に続けて自転車競技を賭けごとの対象として利用することでした。

しかし、国際スポーツ株式会社だけで自転車競技の運営を続けていく事が不可能と分かりました。

そして、国の法律として制定してもらおうと国に働きかけました。

その提案に興味を持った人物が、当時の内閣総理大臣「片山哲」です。

社会党執行部の賛同を得て、自転車競技法の法案作りに着手していきます。

法案は1943年6月26日に衆議院で可決し、同年7月1日には参議院でも可決しました。

そして、1943年8月1日には自転車競技法が施行され、日本における自転車競技法が成立しました。

これが公営競技として競輪が誕生した瞬間です。

競輪の初めての開催

競輪 歴史 初の開催

自転車競技法が正式に施行されて初めて行われた競輪競技は1943年11月20日に九州の福岡県小倉市にある小倉競輪場で開催されました。

同年10月には、同じ福岡県で行なわれた国民体育大会でも競輪が取り入れられた過去もあります。

しかし、競輪場の建設には想像以上に膨大な費用が必要だったため、多くの自治体が競輪の必要性を理解していても、なかなか競輪場の建設を行いませんでした。

そんな中、小倉市は、自転車競技場の建設にいち早く名乗りを上げました。

小倉市で野球の試合を開催することを条件に、競輪場の建設を承諾しています。

こうして、小倉市で第1回の競輪競走が開催されることとなりました。

競輪の発展について

競輪 歴史 発展

第1回の小倉競輪で発売された車券は「単勝式」と「複勝式」の2種類のみでした。

現在の車券の種類と比べると非常に少なく感じますよね。

また、車券の収益の25%から必要経費を引いた金額が自治体の利益となりました。

収益は、当初小倉市が考えていた予想よりもはるかに上回る収益を回収し、大成功を収めました。

実際に小倉競輪が開催される前には、競輪は赤字もやむを得ないという風潮があり、先行きが不安視されていました。

しかし、予想に反して小倉競輪が大成功したことから、財政難打開策として多くの自治体が競輪に参加をすることになりました。

それからは、小倉競輪場だけでなく、日本各地に相次いで競輪場が建設され、1953年には全国に63ヵ所もの競輪場が建設されました。

その後、数年間に亘って、競輪は黄金期を迎えることになります。

競輪の人気と問題点

競輪 歴史 人気と問題点

日本における第1回の小倉競輪での競輪開催以降は、競輪は国民から非常に人気を誇る公営競技となりました。

そして、そのブームに乗っかり、日本各地に競輪場が相次いで建設され、自転車競技法の施行からわずか5年程で全国63ヵ所へと拡大しました。

しかし、あまりにも競輪場の数が増えてきたために問題も生じてきました。

競輪の主催者側が競輪競技自体に慣れていなかったため、運営に支障をきたす事態に陥ってしまいました。

原因のひとつは、選手へのルールや理念などに対する教育不足でした

また、賭けごとである競輪競技の特性上、しばしば暴動事件に発展してしまうことがありました。

有名なのが「大阪住之江競輪場」で1949年に起きた事件です。

この事件を発端に、1950年には「鳴尾」「川崎」の競輪場でも激しい暴動が起きてしまいます。

これらの事件は、マスメディアから激しい批判を浴び、競輪廃止論議まで話に出てしまいました。

その結果、暴動の沈静化なども考え、2ヶ月間全国の競輪開催を全面的に自粛する事態にまで発展しました。

競輪場の廃止の理由

競輪 歴史 廃止の理由

昭和30年代になると、かつては全国に63ヶ所建設された競輪場が次々に廃止に追い込まれる事態となってきました。

なぜ、このような事態になったのかというと、発端は、1955年1月、群馬県前橋市で河野一郎農林大臣が「競馬は、土曜日と日曜日、祭日以外は開催しないことを閣議決定する」と発言したことが発端です。

この発言が波紋を広げ、翌日には閣議申し合わせが行なわれ、競馬に同調する形で、競輪も開催を土日と祭日に限定することになったのです。

この決定を受けて大阪府は、土日と祭日だけの開催では収益が見込めないと判断をし、1959年以降の競馬、及び競輪の開催を中止すると表明しました。

この表明を受けて、大阪府営である「豊中競輪場」は1958年6月をもって廃止することになりました。

1958年には「京都競輪場」が廃止となり、続いて1960年には「神戸競輪場」、1961年には「明石競輪場」が廃止になっています。

1962年3月に「大阪中央競輪場」が廃止し、「大阪住之江競輪場」も1964年には休止となり、大阪市内にあった競輪場はすべてなくなってしまったのです。

近畿圏の競輪場の廃止は他県にも波及し、1966年までに「札幌競輪場」「福岡競輪場」「会津競輪場」「長崎競輪場」などが次々と廃止に追い込まれています。

また、競輪のメッカとして知られていた「後楽園競輪場」も1973年3月には休止となりました。

政治的な理由によって競輪は衰退していき、以後の競輪競技の開催に大きな打撃を与える結果となりました。

競輪の衰退と打開策

競輪 歴史 打開策

競輪の衰退に追い打ちをかけたのが、競艇の台頭です。

1965年度の競輪の売上げは、他の公営競技と比べても大きく上回っていました。

しかし、その後は伸び率が悪くなっていき、1975年には競艇に追い越される結果となってしまいました。

この事態を打開するために、競輪プログラム改革構想(KPK)という番組スキームを導入し、新たな競技であるKEIRINグランプリの創設を行なっています。

しかし、それらの打開策も衰退に歯止めをかける効果は期待できず、競輪競走にとって更なる改革が求められているのが現状でした。

日本人プロスポーツ史上初の1億円プレーヤーが誕生

競輪 歴史 1億円プレーヤー

ここまでで、競輪選手の歴史をご紹介しました。

廃止に追い込まれたりと、あまり明るい内容はありませんでしたが、実は日本人のプロスポーツ史上、初の1億円プレーヤーが誕生したのは競輪です。

競輪初代賞金王は、1949年の小林源吉選手の¥1,921,000と、現在の賞金額から考えるとかなり低いものでした。

その後、競輪初開催から15年後の1963年に1000万円プレーヤーが誕生しました。

それは、高原永伍選手の¥10,875,660円です。

さらに、その13年後の1976年には、藤巻昇選手が5,000万超えの¥56,742,000を達成しました。

そして、1980年についに1億円プレーヤーが誕生したのです。

中野浩一選手が「日本のプロスポーツ史上初の1億円プレーヤー」となります。

その額はなんと、111,410,600円です。

このニュースは当時、各メディアで紹介され世間で大きな話題となりました。

1980年当時ではプロ野球選手の平均年俸は602万円、一般サラリーマンの平均年収は294万円だったので、一億円という金額は驚きを隠せない額でした。

ちなみにプロ野球で初の1億円プレーヤーが誕生したのは、それから7年後の1987年で、落合博満選手と東尾修選手です。

サッカーは更に5年後の1992年で三浦知良選手でした。

21世紀になった2001年、伏見俊昭選手が初の2億円超えをし、翌年の2002年 山田裕仁選手が¥244,348,500を獲得します。

この山田選手の金額が現在の歴代最高賞金獲得額となっています。

年表

競輪 歴史 年表

上記で紹介した競輪の歴史についてを年表別にまとめたのでご紹介します。

1948年11月20日
小倉競輪場で初の競輪が開催

1949年1月15日
東日本で初となる、大宮競輪が開催される

1949年6月
第1回 日本選手権競輪開催

1950年4月
第1回 高松宮記念杯競輪開催

1950年8月
第1回 全国都道府県選抜競輪開催

1951年11月
第1回 競輪祭競輪王開催

1956年5月
第1回 オールスター競輪開催

1957年8月10日
世界選手権自転車競技大会に、中井光雄、中野泰満両選手が初参加

1962年1月
第1回 競輪祭新人王開催

1963年3月25日
全国争覇競輪(ダービー)決勝をテレビ初放映

1965年12月13日
松本勝明選手が1000勝記録達成

1966年2月
第1回 秩父宮妃賜杯競輪開催

1975年8月24日
世界選手権自転車競技大会で阿部良二選手がスクラッチ3位入賞

1977年8月28月31日
世界選手権自転車競技大会で中野浩一選手スプリント優勝

1982年
国際競輪始まる

1983年4月1日
KPK制度の実施により、S級・A級・B級の3階制となる

1985年8月
第1回 全日本選抜競輪開催

1985年12月
第1回 KEIRINグランプリ開催(立川競輪場)

1986年9月1日
世界選手権自転車競技大会で中野浩一選手スプリント10連覇

1988年6月7日
井上茂徳選手が史上初のグランドスラム達成

1988年10月
第1回 共同通信社杯競輪開催

1989年1月
第1回 国際ケイリングランプリ開催

1989年12月
第1回 ふるさとダービー競輪開催

1990年5月
世界選手権自転車競技日本大会特別記念レース開催

1992年5月19日
第1回世界選手権記念トーナメント(現在の寬仁親王牌)開催

1995年
阪神淡路大震災により近畿地区競輪場に被害。後に震災復興競輪開催

1996年
アトランタ五輪で十文字貴信選手が1kmTTで銅メダル

1998年
函館競輪場で初のナイター競輪開催

2000年
シドニー五輪でケイリンが正式種目として採用

2001年12月
第1回 ヤンググランプリ競輪開催

2002年2月
第1回 東王座戦・西王座戦競輪開催

2003年5月
第1回 ワールドグランプリ競輪開催

2004年
アテネ五輪のチーム・スプリント(長塚智広選手、伏見俊昭選手、井上昌己選手)で銀メダル

2005年8月
第1回 サマーナイトフェスティバル競輪開催

2008年1月
FⅠ、FⅡが12レース制に。S級S班創設

2008年8月16日
北京五輪で永井清史選手がケイリンで銅メダル

2008年12月
第1回 SSカップみのり競輪開催

2009年5月
第1回 SSシリーズ風光る競輪開催

2011年
小倉競輪場で初のミッドナイト競輪開催

2012年
ロンドン五輪で女子ケイリンが正式種目として採用

2012年7月
ガールズケイリンが始まる

2012年11月
モーニング競輪の開催が始まる

2014年1月
第1回 KEIRIN EVOLUTION開催

2017年3月
第1回 ウィナーズカップ開催

まとめ

今回は競輪の歴史について紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?

競輪が好きで競輪の予想なら知っているという方は多くいるかと思いますが、競輪の誕生や過去にどんな事があったのかを知っている方は多くはないでしょう。

この記事で紹介した競輪の歴史を知る事で競輪に対する感情も変わってくるかもしれませんね。